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海運雑学ゼミナール
122 菱垣廻船や樽廻船はわが国最初の定期船オペレーター
 島国日本にとって、船は古来よりかけがえのない輸送機関。遣隋使船や遣唐使船、御朱印船にみられるように、海外との交流や貿易には、数多くの外洋船が活躍した。
 しかし鎖国時代に入って、海外との貿易が禁じられると、日本の船による海外との交易もほとんどとだえてしまう。それに代わるようにして未曾有の繁栄を迎えたのが当時の内航定期航路ともいえる廻船だった。
 太平洋岸を通って大阪〜江戸間を結んだ菱垣(ひがき)廻船。そのライバルの樽(たる)廻船、日本海・瀬戸内海経由で北海道や日本海側の港と大阪を結んだ北前(きたまえ)船などが、その代表的なものだ。
 これら廻船が主に運んだ貨物の中心は米だったが、酒や味噌、醤油、油、魚粉、木綿、紙などの生活必需品や人も運んだ。
 幕府の大型船建造禁止令で、初期には二百石(約20トン)〜四百石(約40トン)積みの大きさにとどまっていたこれらの廻船も、その後、規制が緩和されると、千石船といわれる一千石(約100トン)を超える大型の船も登場するようになる。
 最盛期には、上り、下りあわせて、延べ800隻近い船が日本沿岸を往来し、風待ちのための待避港や灯台があちこちに設けられるなど、江戸時代後期には、内航海運としての廻船の発達は最盛期を迎えた。
 こうした廻船業者は、わが国で最初の定期船オペレーターともいえる存在で、これを利用することで、当時の米屋や酒屋は自前の船を持つ必要がなくなった。わが国での荷主と海運業の分離は、この時代にすでに始まっていたということになる。
 対外的には鎖国体制を維持しながらも、商工業の発展をベースに過去に類のない経済的繁栄を遂げた江戸時代。その暮らしと経済を支えていたのも、やはり海運だったのである。
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