日本船主協会

トップページ海運雑学ゼミナール

海運雑学ゼミナール
137 国際貿易港をもっていた13世紀の北京
 大都は元の初代皇帝フビライが建設した元帝国の首都で、現在の北京の前身にあたる都市。まったく何もなかった土地に、ゼロから建設され、四半世紀の歳月と膨大な資金・労働力を投入して完成された。
 周囲28.6キロメートルにおよぶほぼ正方形の外郭のなかは碁盤目状に区画され、中心には宮殿が置かれ、その周辺には、一定の形式に統一された富民層のための高級邸宅群が整然と軒を連ねる壮麗な都市だったという。
 しかしこの都市のユニークさの極めつけが、内陸都市でありながら国際貿易を行う港をもつという点であった。
 港の機能を果たしたのは大都の中央部に広がる積水潭(たん)と呼ばれる湖。この湖と東へ約50キロメートルの通州までの間を高低差37メートルの閘門式運河でつなぎ、さらに通州からは河川を利用して渤海湾に面した海港の直沽(現在の天津)に至ることができた。
 大都は、陸のシルクロードの起点でもあったから、当時のアラブ商人たちが盛んに利用した西アジアから中国への海上ルート(海のシルクロード)は、この運河の建設によって、陸のシルクロードと直結し、大都を中心にユーラシア大陸の東半分をめぐる海陸の壮大な循環ルートが完成したわけである。
 こうして、中国国内で生産された物資はもちろん、海運によって遠くアラブ世界から運ばれたさまざまな貿易物資が、この運河をさかのぼって積水潭に集められ、中国の陶磁器や絹製品がここから輸出され、首都・大都は、経済的にも発展を極めた。
 当時、西欧最大の都市だったパリの人口は20万人弱。これに対し、大都や、当時の中国を代表するもう一つの港湾都市だった杭州の人口は100万人を越えていたといわれる。海運による国際貿易の推進が、都市の経済的発展にいかに大きく寄与するかをいち早く見抜いたのが、チンギス・ハンの孫で騎馬民族出身のフビライだったというのは驚くべきことだ。
前のページへ海運雑学ゼミナールタイトル一覧へ次のページへ