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海運雑学ゼミナール
156 「トルデシーリャス条約」は地球まっ二つの山分けプラン
 アフリカ回りのインド航路発見に乗り出し大航海時代の先陣を切ったポルトガルに対し、遅れをとったスペインは、コロンブスに資金援助して、西方航路によるインド到達を目指した。
 コロンブスは、大西洋を西進して西インド諸島に達しスペインによる領有を宣言するが、すでにローマ法王からボジャドール岬(北緯26度)以南のアフリカ沿岸部とその接続水域の領有権を認められていたポルトガルはこれに強く抗議する。ポルトガルは「接続水域」の概念を西に限りなく延長して解釈し、西インド諸島もその中に含まれるものと考えたのである。
 ポルトガルとスペインの両国はローマ法王に調停を求め、1494年の6月、「トルデシーリャス条約」を結ぶ。その内容は、アフリカ沖のヴェルデ岬諸島から西に370レグア(約2,000km)の地点を通り南北に延長される経線で地球を真二つに分割するというものだった
。  この分割線は、西経46度37分の経線とその裏側を通る東経133度23分の経線に当たり、前者より西(もしくは後者より東)で発見される非キリスト教徒の土地がスペインに、前者より東(もしくは後者より西)で発見される非キリスト教徒の土地がポルトガルに与えられた。
 現代の常識からすれば、あまりにも手前勝手な条約だったが、新大陸の領有に関しては、この条約は比較的よく守られた。中南米諸国の中でブラジルだけがポルトガル語圏に属するのはこの条約による分割の名残である。
 しかしアジアを通過する分割線については、ほとんど有名無実だった。この地域では、その後、イギリスやオランダが自由に交易を行い、17世紀にグロティウスが唱えた「公海自由の原則」の影響もあって、ポルトガルとスペインの二国間条約は無視された。両国がその権利を主張するには、武力による実力行使しか方法がなかったが、当時の両国の力ではそれも不可能だったのである。
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