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海運雑学ゼミナール
167 列強の圧力で誕生した日本の近代灯台
 日本に近代的な灯台が生まれたのは、開国とほぼ同時期。そのきっかけとなったのは、欧米列強による、いわゆる「外圧」だった。
 ぺリー艦隊の威力に屈して結ばれた日米和親条約に続き、幕府は米国、英国、ロシア、オランダ、フランスなどと相次いで通商条約を結ぶ。しかしその後、これに反対する尊王攘夷が高まり、やがて長州藩が下関海峡を通航中の列強国の商船や軍艦を砲撃するという下関事件が起った。結局、長州藩は、英・米・仏・蘭の艦隊による総攻撃で大きな打撃を受けるが、列強はこの事件の責任を幕府に求め、幕府は300万ドルという当時としては多額の賠償金を要求された。
 しかし徳川幕府に、これを全額支払える財力はなく、列強がその3分の2にあたる200万ドルを放棄する引き替え条件として、兵庫・大阪の開港や関税率の引き下げなどを認めざるを得なかった。この時の条件の中に、8ヶ所の灯台と2ヶ所の灯船の設置が含まれていたのである。
 このとき建てられた灯台が、剣崎(神奈川県)、観音崎(同)、野島崎(千葉県)、神子元島(静岡県)、樫野崎(和歌山県)、潮崎(同)、沙汰岬(鹿児島県)、伊王島(長崎県)の8灯台で、一般に「条約灯台」と呼ばれている。
 開国とともに日本に流入した欧米文化は数多いが、灯台はその代表的なものの一つ。これ以後、当時の欧米の優れた灯台建築技術を導入してつくられた多くの灯台は、日本の海上交通発展の基礎となったばかりか、美しい自然景観にも調和し、小説や映画の舞台になるなど、みごとに日本の文化の中に溶け込んでいる。
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