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海運雑学ゼミナール
170 帆船から手漕ぎ船まで歴史上の船の乗組員数
 近代設備の投入と船内就労体制の合理化で、最近の外航船舶は、通常の在来船(Mゼロ船)で22名、合理化の進んだ近代化船では11名体制まで少数精鋭化が進められたことがある。ところで歴史上の船の乗組員数はどのくらいだっただろうか。
 まずコロンブスの第1次航海の旗艦となったサンタマリア号。この船は100総トン未満のカラック船(縦帆と横帆を組み合わせた大航海時代初期を代表する帆船)だったが、乗組員は約40名と推定されている。
 また、19世紀に帆船時代の最後を飾ったクリッパーは、約2,000重量トン級で30〜40名、5,000重量トン級で約50名だった。何十枚もの帆を組み合わせた高度で複雑な帆装の船にしては、これはかなり少ない数字といえそうだ。
 これに対し江戸時代の日本の国内海運で活躍した弁才船(べざいせん)は、1,500石(1石は約0.27立方メートル)積みで乗組員は14名程度だった。外洋を走るカラック船やクリッパーと簡単な帆装の内航船だった弁才船の違いはあるにせよ、当時としてはかなり合理化された船だったといえる。
 これらの船は帆走専門の船だったが、オールによる手漕ぎを主な推進力とする船では、当然のことながら乗組員数ははるかに多い。例えばギリシャ時代の戦闘用のトライレム(3段櫂船)は、長さ36メートル、幅6メートルほどの小型船だが、高速を出すために最高170名の漕ぎ手を上層、中層、下層に配置していたという。
 またマルコ・ポーロが乗船したという中国船(元の時代)は、4本のマストに12枚の帆をかけた大型船で、船内に60の船室をもっていたといわれるが、この船の場合も帆走とともにオールによる推進を併用していたため、水夫は150〜300人程度乗船していたらしい。
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