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海運雑学ゼミナール
175 江戸海運の発展に貢献した日本版ブルーリボン競争
 帆船のスピード競走といえば19世紀のティークリッパーによるブルーリボン争奪戦が有名だが、日本でもかつて同じようなレースが行われていた。菱垣廻船による「新綿番船」と樽廻船による「新酒番船」がそれだ。どちらもその年の最初の綿や酒を近畿から江戸まで運ぶレースで、新綿番船は元禄年間(1688〜1703)、新酒番船は享保15年(1730)頃に始まった。
 当時、廻船の主力となっていた船は別名「千石船」とも呼ばれた「弁才船(べざいせん)」。横帆1枚の単純な帆装だが、帆と舵の巧みな操作で横風や逆風でも帆走が可能で、時代とともに速力も向上の一途をたどっていた。番船レースは、こうした速力や航海性能向上に貢献する技術開発競争の側面も持っていたようだ。
 初期の頃(17世紀後半)の弁才船は大阪〜江戸間(片道)を約1ヶ月もかけて航海していたが、寛政2年(1790)には新酒番船が西宮から江戸までわずか58時間で航海、平均速力6.5ノットという記録を樹立し、さらに安政6年(1895)には、新綿番船が大阪から浦賀まで50時間、平均速力7ノットの記録を残している。
 毎年、この競走のために、船主は帆走技術や航海技術に様々な工夫を凝らし、改良を重ねた。こうした技術面での成果は、普段の廻船の運航にも生かされたため、菱垣廻船や樽廻船の運航も全般にスピードアップ。元禄期には大阪〜江戸間を1隻が年間4往復していたのに対し、天保年間(1830〜1843)には8往復と稼働率は倍増し、北は北海道から西は九州まで全国をくまなく網羅したその強力な輸送力は、江戸時代の経済や文化を支える上で大きな役割を果たした。
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