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海運雑学ゼミナール

189 日本船社がトップを切った石炭から重油への燃料転換

 蒸気機関から蒸気タービン、ディーゼル機関へと近代の船の動力は変化し、現在はディーゼル機関が舶用主機の主流になっている。この変化は、燃料の面でも大きな変化を伴い、これが船の性能向上に大きな役割を担った。石炭から重油への転換である。
 この燃料転換の先鞭となったのが、日本の海運会社が建造した2隻のタンカーだったことは意外に知られていない。東洋汽船が英国に発注し、明治39年に就航した相洋丸(4,713総トン)と武洋丸(5,151総トン)である。発案者は、同社のオーナーだった浅野総一郎氏。世界のトップ海運国の英国でも、重油を燃料に使う発想はまだ定着していなかった。
 その後の明治41年、東洋汽船は、三菱長崎造船所に重油焚き2万馬力のタービン機関を積んだ21ノット、1万3,000総トンの高速大型客船を発注する。やがてサンフランシスコ航路で活躍することになる天洋丸、地洋丸、春洋丸の3隻である。当時、このような大型タービン客船は世界にも類が無かった。
 この3隻は日露戦争で起工が遅れたため、世界初のタービン客船の栄誉は、英国のモレタニア、ルシタニアの2船に譲った。しかし東洋汽船は、ここでも重油焚きを採用しており、重油焚きタービンの大型客船としては、やはり世界初の快挙だった。
 効率が高く、液状で扱いやすい重油は、船舶運航に多くのメリットをもたらす。その一つが煤煙の少なさで、これらの船の当時のキャッチフレーズは「振袖を着て乗れる」というもの。
 開国からわずか40年あまりで、日本の海運・造船界が、このように先進的な発想や技術力を持つに至った事実は特筆に値しよう。
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