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海運雑学ゼミナール

190 三十石船は大阪と伏見を結んだ江戸時代の水上バス

 菱垣廻船、樽廻船など、江戸時代は船による国内海上輸送が発達した時代だが、川船による人や貨物の輸送も盛んに行われていた。
 徳川幕府が、戦略上の理由から橋を架けることを嫌ったこともあって、江戸市中や東海道などの幹線道路には橋のない川が多く、渡し船は、現代のタクシー以上に日常生活のなかで重要な存在だった。
 河川を利用した水運も発達した。「高瀬船」は、運河や川幅の狭い河川を行き来して主に貨物を輸送した。下りは川の流れを利用できるが、上りは船頭が陸に上がって舟を綱で引くという、何とものどかな「人力舟」だった。
 豊臣秀頼が、京都・方広寺の大仏殿再興の資材輸送のために京都から伏見まで開削した高瀬川を上下したものが有名だが、こうした形式の河川輸送は全国にあったようで、高瀬川という地名も、国内のあちこちにみられる。
 一方、淀川を大阪から伏見まで結んだ「三十石船」は純然たる旅客船。定員30人弱の乗り合い舟で、大阪と京都を結ぶ交通路の主要部分を約1日の行程で結んだ。ターミナルの大阪と伏見では、この舟を利用する旅人のための船宿が繁盛した。坂本竜馬ゆかりの寺田屋も、そうした船宿の一つだ。
 こうした川舟による水運は、近代に入って鉄道や自動車による交通が発達するにつれ、自然に消滅していった。しかし、最近は、河川や運河などを利用した新しい交通機関として、水上バスが注目を集めるようになっている。
 道路のように交通渋滞の心配がないのが最大の利点だが、川風に頬をなでられながらの「ミニクルーズ」は、都会生活者にとって一服の清涼剤の役割も果たしているようだ。
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