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海運雑学ゼミナール

201 漂流者たちが持ち帰った鎖国時代の海外知識

 鎖国政策がとられた江戸時代に、日本の民間人による海外渡航例が、記録に残るもので百数十例ある。といってもこれは不可抗力、すなわち漂流によるものだ。
 当時の国内海上輸送の主力だった弁才船(べんざいせん)は、あくまで沿岸航海用。荒天に遭遇し1本しかない帆柱が折れてしまえば、あとは潮と風に運命をまかせる他はなかった。
 百数十例という記録は、こうして数ヵ月から1年あまりの漂流の果てに外国へ漂着し、無事に帰還できた事例だ。海の藻屑と消え、あるいは現地に骨を埋めた漂流者の例は、おそらくこの数百倍はあるだろう。
 記録に残っている漂着地は、カムチャッカ半島、アリューシャン列島、北米、中米、太平洋諸島、台湾、ルソン島、安南(ベトナム)、中国大陸、朝鮮半島、ダッタン(沿海州)などにおよび、欧米船が太平洋に盛んに進出するようになった18世紀末以降は、これらに救助されるケースも増えた。
 有名なジョン・万次郎(中浜万次郎)ら5名の乗る漁船を救助し、米本土へ連れかえったのはアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号だった。米国領事館の通訳として来日し、日米交渉に活躍したジョセフ・彦(浜田彦蔵)も、やはり漂流中に米国船に救出された一人だ。
 記録によれば、こうした漂着船の積荷はほとんどが米。それを食べ繋ぐことによって漂流に耐えたわけで、他の貨物を積んだ船や漁船の場合、生還率はかなり低かったと想像できる。
 漂流者たちは、帰国後、幕府によって詳しく事情聴取された。その内容は決して公開されることはなかったが、幕府は、そうして得た海外の情報を大量に蓄積しており、幕末期のアメリカやロシアとの外交交渉に生かされた。  漂流というやむを得ざる事情で海外に渡航することになった人々は、当時の海外の最新事情を日本にもたらす隠れた情報源として、大きな役割を果たしていたことになる。
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