日本船主協会

トップページ海運雑学ゼミナール

海運雑学ゼミナール

211 ペリーが愛した小柄なフリゲート艦

 ペリーの黒船艦隊が、最初に江戸湾浦賀沖に現れたのは、1853年(嘉永6年)7月8日。この時の旗艦はペリー率いる東インド艦隊最大の蒸気軍艦「サスケハナ」だった。翌年2月13日の再来航時には、滞在中のほとんどの期間、やはりサスケハナに匹敵する大型蒸気軍艦「ポーハタン」を旗艦としていた。
 いずれも旗艦に大型艦を選んだのは、武力による威圧で開国を迫るペリーの戦略上当然のことだった。交渉の場となる旗艦は、まさに米国の威信を示すものでなければならない。
 しかし彼のお気に入りの艦は、むしろ小型のフリゲート艦「ミシシッピ」だったようで、遠征中、とくに威圧的な意味を持たない航海では、ほとんどミシシッピを旗艦としている。
 まずペリーが1852年11月24日にバージニア州ノーフォークから出港したときの旗艦がミシシッピで、この時は単艦での航海だった。
 大西洋を越え、喜望峰回りでアジアに到着したペリーは、1853年5月4日、上海で東インド艦隊の艦艇と合流。ここで始めて提督旗をサスケハナに移し日本に向かっている。浦賀沖停泊中も旗艦はサスケハナだったが、測量を理由に江戸湾の奥まで進入を試みた時はミシシッピに提督旗を移している。
 二度目の来航時も、当初はサスケハナが旗艦で、ポーハタンに提督旗を移したのは幕府と本格的な交渉が始まってからだ。しかし、無事、条約が調印されると、ペリーは安心したようにミシシッピに旗艦を移し帰途につく。
 香港に戻り、遠征の疲れで体調を崩したペリーは、艦隊の指揮を離れて英国商船で1855年1月12日に本国へ帰還。同年4月23日には最後に旗艦を務めたミシシッピもニューヨークに帰港し、ペリー提督自ら赴いて提督旗を降ろす。
 大艦隊の武力を背景とした外交交渉で日本の鎖国の扉をこじ開けたペリーの日本大遠征は、国の威信を賭けた巨艦ではなく、愛すべき小柄なフリゲート艦によって、まさに幕を開け、そして静かに幕を閉じたのである。
前のページへ海運雑学ゼミナールタイトル一覧へ次のページへ