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海運雑学ゼミナール

226 神戸港の基礎を築いた平清盛の港湾都市構想

 歴史上の人物としては、悪玉に分類されがちな平清盛だが、つい見落とされがちなのが、極めて優れた国際感覚をもった港湾・都市プランナーとしてのもう一つの横顔だ。
 清盛の仕事の中で最も大規模で、晩年の悲願ともなったのが大輪田泊(おおわだのとまり)の大修築。大輪田泊は、奈良時代に僧の行基が設けたといわれる五泊の一つで、当時から瀬戸内海の交通の要衝だったが、清盛はこの港を宋からの貿易船が入港できるように大改造して、大陸貿易の拠点にしようとした。
 その構想は、海上に人工島を築いて、その島陰に安全な碇泊地を確保し、あわせてその島と対岸の福原に大規模な都市を構築するというもの。人工島の面積は約30町歩(約30ヘクタール)、現在の神戸港ポートアイランドの10分の1に近い。当時の土木技術のレベルからみれば画期的な大工事だった。地盤が軟弱なこともあって工事は難航を極めるが、ついに一応の完成をみ、1180年に都は福原に移転する。いわゆる福原遷都である。
 だが内裏の建設も間に合わず、都市機能も未完成な状態での強引な遷都は公家たちの不評を買い、結局、その年のうちに再び京都に遷都することになる。港と都市の開発を一体として進め、宋との国際貿易を基盤に強大な経済力を持つ港湾都市を建設しようとした壮大な計画は潰え、清盛は、翌年失意のうちに病死する。
 しかし大輪田泊の修築は清盛の死後も受け継がれ、後には兵庫津と改称。その後も繁栄を続け、現在の神戸港にまで発展する。
 当時、荒唐無稽とみられた清盛の野心的な港湾都市構想は、まさに20世紀の今日にも通じるリアリティに満ちたプランだったのである。
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