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海運雑学ゼミナール

244 秘伝とされた和船独自の設計技術─「木割法」

 江戸初期から明治初期に至るまで、日本の海上物流の主役となって活躍したのが弁才船(べざいせん)。いわゆる大和型と呼ばれる和船の代表的船型で、大型のものは千石船とも呼ばれた。菱垣廻船、樽廻船、北前船などに使われたのもこの弁才船だった。
 こうした和船の設計技法は「木割法」と呼ばれ、江戸時代初期にはほぼ完成し、瀬戸流、和泉流、境井流などの流派の秘伝として、明治初期まで綿々と受け継がれてきた。
 いずれも、航(かわら/船体底部を前後に貫く部材で、西洋船の竜骨に相当)の長さや帆の反数を基準に、船の幅や深さ、帆桁や帆柱の長さと太さなど細部の寸法を決めたものだ。
 航の長さを基準に「航1尋(ひろ)につきいくら」とした計算法は「尋掛り」、帆の面積から「帆1反につきいくら」とした場合は「帆掛り」と呼ばれた。また軍船用で「櫓1挺につきいくら」の「櫓掛り」という方法もあった。
 かつて門外不出とされたこの時代の木割書は、時代劇などに出てくる武術の秘伝書のような数巻の巻物のセットで、師匠から後継者に指名された弟子だけに伝授された。
 流派は異なってもその内容はほぼ似通っていたため、大きさや細部の作りを除けば、弁才船の外観はどれも変わりなく、その後の260年あまりを通じ大きな変化もみられなかった。
 日本独自の発展を遂げ、近世初頭にすでに高い完成度を示していた弁才船だったが、その後の技術革新の芽は、こうした秘伝の厚いベールに押しつぶされてしまったようである。
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