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海運雑学ゼミナール

252 仏教とともに移入された古代日本のチーズ文化

 わが国でたぶん最も古い外来の加工食品がチーズで、その歴史ははるか飛鳥時代まで遡る。
 紀元前3000年頃のメソポタミアで既につくられていたという記録が残るチーズは、その後、インドやヨーロッパ、中央アジアへと広まり、やがて中国に到達する。初期の伝播の経路は遊牧民との交易だったが、中国文化の中に本格的に浸透したのは、インドから仏教文化の移入が盛んに行われるようになった前漢時代だった。
 仏典の中に「酪(らく)」「酥(そ)」「醍醐(だいご)」(それぞれヨーグルト、チーズ、バターオイルに近いもの)などとして登場する乳製品は、古代中国の代表的な医薬書である「本草書」にも記述がみられるとおり、食品というより強壮薬や宗教儀礼の供物という色彩が強かった。
 日本への到来も仏教の移入とほぼ同時期で、朝鮮半島からの渡来人や遣唐使が持ち込んだ。鑑真和上が来日時に大量の酥を持参したことも知られており、護摩供養など仏教儀礼にも酥が重要だったことをうかがわせる。
 やがて日本でも貴族社会を中心に医薬として浸透し、8世紀初頭には朝廷の命令で全国に牧(牛馬の飼育場)が開設され、さらに造蘇使が派遣されて、蘇(酥を改良した国産チーズ)がつくられるようになる。古代日本のチーズ生産は、朝廷主導の国家的事業だったのである。
 こうして全国で生産された蘇を定期的に都に貢納する貢蘇の制度が確立されるが、やがて南北朝時代に至り、貴族社会が衰退すると、こうした制度も、蘇の生産自体も終末を迎える。
 仏教とともに伝来し、朝廷の権力に支えられて発展を遂げた日本の乳製品文化は、まさに庶民の暮らしとは縁遠い貴族の独占物だったがゆえに、その後の日本の食文化に根づくことなく自然消滅していったのである。
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