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海運雑学ゼミナール

253 英国海軍の基礎を築いた女王陛下の海賊船

 海賊船の旗印といえばドクロのマークが有名だが、自国の海軍旗を堂々と掲げて海賊行為を行った、いわば国家公認の海賊たちもいた。
 その代表がフランシス・ドレーク。若くしてカリブの海賊として名をはせ、一時はお尋ね者となり身を隠していたが、1577年に突然エリザベス女王に謁見し、太平洋航海の許可を得る。
 当時のイギリスとスペインは、表向きは友好を保っていたものの、宗教上の対立や領土拡大競争で水面下のつばぜり合いを続けていた。ドレークの最大の使命は、スペインのガレオン船の捕獲とスペイン植民地からの略奪で、スペインに経済的な打撃を与えるとともに、その威信に泥を塗ることだったのである。
 1577年から1580年にかけての航海で数多くの戦果を収め、財宝を満載して帰国したドレークを女王はナイトの称号を用意して迎えた。ドレークの名声は欧州中に響き渡り、やがてその活躍にあこがれた後継者たちが現れる。
 最初の一人はキャベンディシュで、1586年に帆船3隻の艦隊でプリマスを出港し、2年余りの略奪航海ののちで帰国。ドレーク同様ナイトの称号を得た。女王陛下の海賊の系譜は、さらにダンピア、ロジャースと続き、その最後を飾ったのがアンソンだった。
 1740年9月、旗艦「センチュリオン」を筆頭に8隻の大艦隊で出発したアンソンは、スペイン艦隊の追撃をかわして、植民地や財宝運搬船を襲い続けた。しかしその航海は悲惨で、3年9ヵ月の後、無事英国へ帰還したのはセンチュリオンただ1隻。1,300人余りの乗員を失い生還者はわずか145人だった。
 このアンソンを最後に、英国艦隊の海賊航海の歴史は幕を閉じるが、その冒険心あふれる海軍魂の伝統は、18世紀後半のキャプテン・クックの大探検航海に受け継がれ、やがて海洋大国イギリスの威信を支える基礎となってゆく。
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