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265 ついに英国には戻らなかった至高の銀杯「アメリカズカップ」

 国際ヨットレースの最高峰といわれ、世界のヨットチームが最先端の技術と国の威信をかけて最速を争う「アメリカズカップ」。その歴史は1851年(日本では嘉永4年、ペリーが浦賀に来航する2年前)にまで溯り、近代オリンピックよりもはるかに長い歴史を誇る。
 発端はロンドンの第1回万国博覧会を記念したワイト島1周ヨットレース。主催者の英国ロイヤル・ヨット・スクォードロンが唯一の外国艇として米国の参加を要請したのは、当時ボルチモア・クリッパーと呼ばれる快速帆船を駆使し、振興海洋国として勃興しつつあった米国への英国の自信に満ちた挑戦ともいえた。
 これを受けたニューヨーク・ヨットクラブ(NYYC)は、当時最高の技術を結集した101フィートスクーナー「アメリカ号」を建造。大西洋を渡り英国に乗り込む。
 1851年8月22日に行われたレースは大方の予想を覆しアメリカ号が圧勝。このとき授与されたのが高さ68.58センチの古代ローマの水差しを模した純銀のトロフィーだった。「100ギニーカップ」と呼ばれたこのありふれたトロフィーが、その後「アメリカズカップ」と名を変え、世界のヨットマンが憧れる「至高の銀杯」になるとは当初は誰も想像しなかった。
 レースの惨敗で世界に冠たる海洋国家の威信を傷つけられた英国は、雪辱を期して1870年8月8日に米国に再挑戦するが失敗。以後ニュージーランドにおける1993年の大会まで31回繰り広げられたアメリカズカップの歴史はここから本格的に始まる。しかしカップは現在まで一度も英国に戻っていない。
 このレースは、オリンピックのように国際組織によって運営されるのでもなく、参加艇も各地のヨットクラブの代表に過ぎない。しかし欧米などでは、その勝敗に各国の元首から経済・産業界までが一喜一憂する。
 その理由は、このレースが当初から、クルーの技量はもちろん造船を中心とする各国の工業技術の最新成果を投入し、いわば一国の海事技術の総合力を競い合ってきた伝統にある。最近では、艇の建造から遠征費まで含めた費用が数十億円、参加チーム全体では数100億円の巨費が投じられるといわれる。
 約150年の歴史を通じ、巨額の財貨と時代の叡智を飲み込み続けてきた、おそらく世界一高価な銀の水差し―アメリカズカップ。その奪取をめざし日本を始めとする世界の有力チームが、今、着々と準備を進める。
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