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海運雑学ゼミナール

274 大航海時代に先駆けたイスラム系民族の海の覇権

 世界史上で活躍した海洋民族あるいは国家としては、フェニキアやバイキング、大航海時代の主役となったポルトガルやスペインが有名だが、大航海時代よりはるか以前から、紅海やペルシャ湾沿岸を拠点に、アフリカ東岸、東南アジア、中国に至る広大な海域で活発な交易活動を行っていたのがペルシャやアラブのイスラム系民族だったことはあまり知られていない。
 現代の中東諸国といえば「砂漠と石油の国」というイメージが色濃いが、かつてのペルシャ人やアラブ人は、じつは優れた航海技術を持つ海洋民族という側面も強く持っていた。
 彼らが使った船は、現在も一部の地域で現役で活躍する「ダウ船」。ヨーロッパや中国の船が部材の接合に鉄釘を使っていたのに対し、こちらは部材に開けた穴に紐を通して強く結び、合わせ目に獣脂やタールを塗って水が入らないようにした縫合船と呼ばれるもので、堪航性は決して高いものではなかった。
 しかし彼らの航海技術は高度で、1本マストに三角帆という現代のヨットに通じる軽快な帆装で、季節風を巧みに利用し、海のシルクロードの交易を独占していた。
 9世紀から10世紀にスレイマンとアブ・ザイドによって書かれた「シナ・インド物語」には、ペルシャ湾から中国の広東に至る航路の詳細が記されており、当時すでに広東や揚州など中国の港湾都市には数千人のペルシャやアラブ、ユダヤの商人が住んでいた記述もみえる。
 15世紀に永楽帝の命を受けてインドからペルシャ湾、紅海、さらにはアフリカ東岸に至る大航海を敢行した鄭和は、曾祖父の代に中国に定住したイスラム系一族の出身だった。
 バスコ・ダ・ガマのインド到達にしても、アフリカ東岸からインドまでの航路は、現地で水先案内人として雇ったアラブの天才航海者イブン・マージドが導いたもの。西欧人からみれば新発見の航路も、アラブの船乗りにとっては、すでに旅慣れた航路にすぎなかった。
 こうしたイスラム民族の活発な交易活動は、大航海時代の西欧列強の進出で急速に衰退し、やがて歴史の彼方に忘れ去られてゆく。数百年にもわたった砂漠の民による海のシルクロードの覇権は、西欧中心に書かれることの多い世界史の中ではなかなか見えにくい部分といえる。
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