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海運雑学ゼミナール

280 パナマ運河:蚊の退治から始まったパナマ運河建設計画

 バルボアが、現在のパナマ運河の数マイル南東の小さな丘から太平洋を望見したのは1513年。以来、数世紀にわたりパナマ地峡を越える運河の建設は人々の見果てぬ夢となった。困難な夢の実現に最初に着手したのは1869年にスエズ運河建設に成功したフランスの企業だった。
 しかし1882年に始まったプロジェクトは、多くの苦難の果てに挫折する。最大の原因は黄熱病、マラリアなど熱帯特有の伝染病だった。当時はワクチンも特効薬もなく、7年の工事期間中、伝染病による死者は22,000人にも上った。
 1902年、この企業から権利を買い取り、再び運河建設に乗り出したのはアメリカだった。
 ちょうどこの頃、伝染病医学の分野で、マラリアと黄熱病が蚊によって媒介されることが解明された。これを知ったアメリカは、建設に着手するまでの2年半を、運河建設区域内での蚊の撲滅と衛生施設の整備に費やす。
 蚊の発生する池や水溜まりはすべて浚い、湖にはオイルを撒いて蚊の幼虫が呼吸できないように水面に膜をつくった。ジャングルは更地にし、建物の窓にはすべて防虫ネットを張り、水を溜めるあらゆる容器には蓋をした。
 外部からくる列車に対しては徹底した検疫を行い、感染者の隔離と治療のための病院を建設し、上下水道を整備した。
 この徹底した衛生作戦によって、1904年から1914年までの運河建設期間中の労働者の年平均死亡率は、同時期の米国内都市の平均死亡率さえ下回るものとなった。
 こうして、1914年8月、大航海時代以来の人類の夢だったパナマ運河は開通する。
 それは、膨大なダイナマイトと巨大な建設機械を動員した近代的な土木建設技術の勝利であると同時に、当時、急速に発展しつつあった伝染病医学の輝かしい勝利でもあった。
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