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海運雑学ゼミナール

282 黒船来航前にスタートした薩摩藩の蒸気船建造計画

 黒船来航は、まさに「太平の眠りを覚ます」大事件だった。しかしこれはあくまで大衆レベルの話。幕府は、オランダ商館などからペリー来航の情報を得ており、問題は、いつどこへやってくるか、どう対処するかという点だった。
 薩摩をはじめとする諸藩も、琉球や日本近海に外国船が頻繁に来航していることを知っており、これに対抗するため、洋式軍艦による西欧並みの海軍整備が焦眉の課題となっていた。
 このため幕府は嘉永2年(1849)に、小型の洋式帆船「蒼隼丸」を完成し、さらに黒船来航の翌年の嘉永7年(1854)には日本最初の大型洋式軍艦「鳳凰丸」を竣工する。薩摩藩も、安政元年(1854)に大型洋式軍艦「昇平丸」を竣工、水戸藩も前後して「旭日丸」を竣工した。
 この一連の洋式軍艦建造で注目すべき点は、いずれも外国からの技術指導なしに、いわば独学で造り上げたことだ。これらの船についての後世の技術的評価は必ずしも高くないが、当時としては十分実用に耐えるものだったようだ。
 しかしそれ以上に驚くべきことは、ペリー来航に先立つ嘉永4年(1851)、すでに薩摩藩主島津斉彬によって蒸気機関の製作が開始されていたことだ。翻訳書だけを頼りに試行錯誤を重ねたため、完成は黒船来航後の安政2年になるが、この蒸気機関を搭載した小型船「雲行丸」は、同年8月、薩摩藩邸のあった田町の海で、みごと試運転に成功する。
 鎖国時代といえども、幕府や諸藩は、オランダなどを通じて、西欧諸国のさまざまな情報を吸収していた。開国前の日本の知識層の技術・文化水準が、国際レベルからみても、決して低いものではなかったことを、これらの技術的成果は雄弁に物語っている。
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