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海運雑学ゼミナール

283 日本船の「船印」として始まった「日の丸」の歴史

 オリンピックなどの国際競技の場では、ついその数が気になってしまう「日の丸」。白地に赤い丸一つというシンプルで親しみやすいデザインながら、その印象度はきわめて高い。
 太陽を表すとされる日の丸のユニークなデザインは、聖徳太子の時代から「日出ずる国」を標榜してきた日本人にとって、もともと馴染み深いものだったようだ。
 戦国時代の武将の旗印などにも用いられ、江戸時代には将軍家の船印として定着。三代将軍家光が建造した御座船「安宅丸」には、数十本の日の丸の幟が翻っていたという。また年貢米を天領(幕府の直轄領)から江戸や大阪に運ぶ廻船にも日の丸の船印が用いられていた。
 その日の丸を最初に国旗として定めた法令は、明治3年(1870)1月27日付けの太政官布告にもとづく商船規則で、船舶の国籍を示す旗、すなわち国旗として日の丸を使用すること、およびその寸法などを定めたもの。これに続く同年10月3日付け太政官布告では、海軍の軍艦に対しても同様のことが定められた。
 しかしそれ以前、すでに日本船であることを示す船印としての日の丸は国際的にも定着していた。日本が開国した嘉永7年(1854)、幕府は欧米諸国にならい、日本船の国籍を表わす「日本総船印」を制定するが、ここで用いられたのが日の丸だったのである。
 開国後初めて大西洋を渡った咸臨丸は、この日の丸の船印を船尾に翻して、堂々サンフランシスコに入港した。当時のグローバルスタンダードに対応した日本総船印としての日の丸は、西欧文明へのキャッチアップをめざす幕末期の日本人の目には、まさに「和魂洋才」のシンボルのように映っていたに違いない。
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