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海運雑学ゼミナール

308 8世紀の長安で客死した万葉時代の国際人─阿倍仲麻呂

 770年1月、唐の都・長安で周囲の人々に惜しまれながら70年の生涯を閉じた一人の日本人がいた。阿倍仲麻呂である。
 彼は717年の遣唐使一行に加わり、留学生として16歳で入唐。その秀才を玄宗皇帝に認められ高位の官職に就く。733年派遣の遣唐使一行とともに、在唐中に得た学識を携えて帰国する予定だったが、玄宗はその才を惜しんで許可を与えず、ようやく帰国が許されたのは752年のことだった。
 翌年の帰国途中、彼の乗る遣唐使船は海上で嵐に遭い、安南(現在のベトナム)に漂着する。一行のうち170名余りが現地人に虐殺されるという苦難に遭いつつ、約1年半の旅の末ようやく長安に戻ったこの才気溢れる日本の貴人を、玄宗は再び暖かく迎え入れた。仲麻呂はその後、安南節度使などの高位の官職を歴任し、ついに日本に帰ることはなかった。
 百人一首にその名を残す詩才豊かな歌人だった仲麻呂は、中国最大の詩人といわれる李白とも親しく交遊した。遭難の報に接し李白が有名な哀傷詩「晁卿衡(ちょうけいこう)を哭(こく)す」を残したほど二人の友情は厚かった。李白もまた西域のトルキスタン生れと伝えられる。故国を離れた異民族同士という関係は二人の心の絆をより強いものにしたのかもしれない。
 当時、抜きん出た先進国だった唐には、実力さえあれば、外国人でも高位の官職や名声が得られるオープンな社会風土があった。しかし当然、そこには激しい競争もあったはずだ。
 そうした中で学識・才能を存分に開花させ、玄宗とそれに続く粛宗皇帝の厚い信頼を得た万葉人・阿倍仲麻呂こそ、真の国際人として活躍した最初の日本人ということができよう。
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