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2008年12月

日本とブラジル -次の100年へー

日本船主協会 副会長
株式会社商船三井 代表取締役 社長執行役員
芦田 昭充

 ブラジルへの移住第1船 笠戸丸は1908年4月末、165家族781人を乗せて神戸を出港した。シンガポールや南アフリカ喜望峰沖を経由し6月にブラジル・サントス港に到着。今年はブラジル移住100年との記念すべき年であった。ブラジルは現在、中国・ロシア・インドとともに経済成長筆頭4カ国BRICsの一角を占めるまでに発展している。鉄鉱石に代表される鉱物資源や原油をはじめとするエネルギー源も多く産出し、国際価格の高騰を追い風に輸出が順調に進展している。農業分野でも砂糖、コーヒー豆、オレンジジュースは世界最大の生産量を誇っており、それだけでなく現在輸出額の半分以上は工業品が占めている。
 800人にも満たない笠戸丸の移住者を皮切りに、戦前戦後を通じてブラジルに移住した日本人は約25万人、そして今日150万人の世界最大の海外日系人社会にまで発展をとげたことは、驚嘆すべきことだ。移住した人々の多くは、農業における移住1世たちの汗と努力の遺産を守り続けるだけでなく、広く商業、工業へと活躍の場を広げて行った。現在では、政治や司法そして芸術も含めた広い分野で活躍し、世界最大の日系人社会となり、今日の両国の強い絆の礎となった。
 この100周年は両国にとって重要な節目に当たり、日本海運界そして当社も次の100年を視野に入れ、変化する海上輸送のニーズに応えるべく新たな転換点に立ったといえよう。
 極めて高品質なブラジル鉄鉱石。その輸入の重要な一翼を担っている当社は昨年末、32万トンという世界最大級の「BRASIL MARU」(ぶらじる丸)を送り出した。歴史を遡れば当社は、1916年に南米東岸航路を開始。1939年には、当時の造船技術の粋を集めて、初代「ぶらじる丸」(12,755総トン)を建造し、同航路へ投入。(この船は戦前の当社=大阪商船=を代表する高速船だったが戦時徴用され、魚雷に撃沈された)。戦禍から日本海運が立ち直ろうとしていた1954年。2代目「ぶらじる丸」(10,100総トン)がデビューした。その輝かしい歴史を引き継ぎ、現「BRASIL MARU」は3代目にあたる。8月には同型の「TUBARAO MARU」(つばろん丸。2代目)も竣工し、BRASIL MARU同様にブラジル産鉄鉱石を日本へ海上輸送している。両国のこれまでの歴史そしてこれからの歴史に、多少なりとも役に立てて本当に嬉しい。そして次の100年へ。思いは深まる。
 9月末に私は、ブラジルなど南米を訪問。10数年ぶりの同地は昔日の印象とはすっかり様変わりし、力強い経済発展の最中にあった。その動きは益々加速し「ブラジルは今後さらに発展する可能性を持っている」との感動を覚えた。
 地球の反対側同士で紡がれる、人々の思いと国や会社の歴史。南米そしてブラジルで苦闘された方々の強靭な精神は、この流れの中でさらに力強く次の世代へ引継がれているだろう。海を仲立ちに、日本とブラジル両国が互いに発展し、深く協調していくことを祈りたい。

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