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2011年7月

関根知之

「文化」の運び手

日本船主協会 常任理事
飯野海運株式会社 代表取締役社長
関根 知之

古来より、人々は海を渡り、小さな船であれ、大きな船であれ、そこに人が乗り、物を載せ、生活と文化を運んだ。それは21世紀の現在においても同じである。文化もまた、人類にとって必要欠くべからざるものであるが、異文化が出会い、交流し、そして新しく生まれた文化が、新しい時代を創造し、歴史の記憶となった。

 

今の船は「物」を運ぶイメージが強い。その事業を、当社も物の運び手として主業としている。しかしまた、生きた異文化に直接触れ、また日本や世界の文化を運ぶ「箱舟」事業も大切だと感じている。

 

旧イイノホール。その瀟洒な多目的ホールは、1960年、内幸町に開館した。2007年の閉館まで、公演数おおよそ1万6千件を数え、延来館数は約8百万人。その間、映画、音楽リサイタル、落語、演劇、舞踊、古典芸能の公演や、セミナー、講演会など多くの催し物に利用された。

 

映画関係では、1978年2月から閉館まで、日本国内で最も権威のある映画賞の一つとされているブルーリボン賞の授賞式が行われている。1977年度の作品賞は、山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」、また主演男優賞では「八甲田山」にも出演した高倉健が受賞。閉館した2007年は、ベルリンから渡辺謙がかけつけた。

 

落語関係では、開館当時の1960年からNHK東京落語会、1974年からにっかん飛切落語会が公演されている。三遊亭圓生、古今亭志ん朝、柳家小さんといった古典落語の大家である方々も出演した。

 

クラッシック演奏会では、ヴァイオリン、ピアノリサイタルや独唱会、音楽コンクールなどにも数多く利用された。コンサート専用のホールが都内に竣工した後も、木のぬくもりにかこまれたホール音響を好む方にご愛顧いただいた。1970年代初頭にデジタル録音された同ホールでのコンサートの音源が、今でもCDで楽しむことができる。

   

ホールで培った文化が、別の形で開花した事業もある。関連子会社で行っているメディア関連の事業である。1990年代中ごろから都内に2か所のフォトスタジオ、ロンドンにも支店を構え、静止画から展開し、レタッチ、動画を扱う。どうもここら辺の事業、スチールやらムービーとやらとなると、私が専門としてきた「物」を運ぶ船会社の雰囲気とかなり違う。

   

旧イイノホールはビルの取り壊しとともにその幕を閉じたが、今年11月に新ホールが開館する予定である。座席数は旧ホール694席に比べ一回り小さい500席。ホール部分となる3階から6階の外観設計は、船をイメージし船首を日比谷公園側に向けた。

   

東日本大震災後の日本をとりまく状況は、ますます厳しくなるかもしれないが、この新しいホールは、日本の元気の素・エネルギー源を原動力とし、文化の担い手として活躍して欲しいと願っている。微力ながら、日本の復興支援となり、日本が元気になるような、『物』と『文化』の運び手として活動していきたいと感じている。

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