2026年3月1日
「安全運航を支える静かな力」
日本船主協会 副会長加藤 雅徳
現場を抱える事業者にとって、安全の確保はまさに一丁目一番地です。事業遂行において、安全に勝るものはなく、この考え方は海運業に限らず、あらゆる産業に共通する普遍的な原則です。誰しもがその重要性を理解しているにもかかわらず、残念ながら事故は後を絶ちません。一旦事故が発生すれば、復旧対応には莫大な労力と費用が必要となり、関係者に与える影響も計り知れないものとなります。
安全運航を担う安全担当者は、日々事故の撲滅に向けて尽力しています。しかし、歴史を振り返れば、事故が完全に無くなった時代は一度もなく、彼らが明確な達成感を味わえる場面は極めて少ないのが実情です。仮に一定期間、無事故の状態が続いたとしても、それが施策の成果なのか、あるいは偶然なのかを明確に識別することは難しく、どこか割り切れない思いが残ります。さらに、いつ事故が起きてもおかしくないという緊張感の中で業務に向き合い、ひとたび事故が発生すれば「達成できなかった」という感情を否応なく突き付けられます。
それでも安全担当者は、真摯に業務に取り組み続けています。なぜ、達成感を得にくい環境にあっても、彼らは歩みを止めないのでしょうか。それは、事故撲滅という理想に向けて、考え得る限りのアイデアを出し、実行し、その結果を検証しながら次の一手につなげていく、いわゆるPDCAサイクルを地道に回し続けることこそが使命だと理解しているからにほかなりません。
各社では毎年、事故発生件数や運航停止時間、労災死亡事故数などのKPIを継続的に把握しています。これらの数字が完全に「ゼロ」になることは難しいものの、長期的に見れば、そこには確実に変化の兆しが表れているのではないでしょうか。さらに、数字だけでは測れない現場意識の向上や、顧客や社会からの信頼といった、企業価値の向上につながる無形の効果も生まれていると信じたいところです。安全担当者は、こうした効果を心の支えとし、自らのプライドとして、今日も黙々と職務を遂行しているのでしょう。
今後は、小さなことでも構わないので、安全に関わる取り組みの中で、少しでも達成感を共有できる仕組みを考えていくことが重要です。一方で忘れてはならないのは、安全運航の達成自体が企業の最終目標ではないという点です。企業の最終目標は、収益性の向上や市場シェアの拡大、社会的責任の遂行を通じた企業価値の最大化にあります。安全の確保は、そのために不可欠な要素の一つであり、数ある要素の中でも最も優先されるべき基盤です。安全と他の経営要素が相反する局面もありますが、それらをいかに調和させるか、そこにこそ経営リーダーの手腕が問われていると言えるでしょう。
以上
※本稿は筆者の個人的な見解を掲載するものです。









