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オピニオン

2015年3月1日

小畠 常任委員

「論語」「恨」「転生」

日本船主協会 常任委員
NSユナイテッド海運 代表取締役社長
小畠 徹

今年も、なかば習慣的に初詣に行きました。そこで、ふと知人の中国人が語ったことを思い出しました。彼が言うことには、「人はどこから来て、どこへ行くのかということを考えるのが宗教であるとすれば、中国人には宗教というものはない。知識としての宗教はあっても、現生しか頭の中にない。儒教というものは人と人との付き合い方を説くものであって、宗教ではない。孔子の言う「仁」とは宗教とは異なるものである」と。確かにそうなのかもしれません。論語には「子、怪力乱神を語らず」とあります。論語は格調の高い処世訓であり、宗教書ではないのでしょう。

むしろ「死しても忘れじ」というのが大陸や半島の方々の感覚なのかもしれません。杭州の人々は岳飛(12世紀南宋の武人)を謀殺したという秦檜(同 宰相)を未だに許さず、岳飛廟には秦檜夫妻が廟に向かってひざまずいた形の銅像がある(最近まで参拝人はこの銅像に唾を吐きかける習慣もあった)と聞いています。一昨年、北朝鮮でNo.2が機関銃で銃殺され火炎放射器で焼かれたというニュースがありましたが、我々の感覚では「そこまでやるのか」と言うことではないでしょうか。韓国の大統領は2013年3月に開かれた独立運動を記念する式典で「加害者と被害者の立場は千年の時の流れが経とうと変わらない」と演説しました。韓国独特の「恨」の文化を反映しているのかもしれませんが、正直うんざりしてしまいます。

中国と同じような人口規模を誇るインドの人々の多くは「生まれ変わり」を信じているようです。昔、インドに出張した時、車中に蚊が飛んでいたので手で叩こうとしたら、同乗のインド人が、「俺の爺さんの生まれ変わりかもしれないので外に逃がそう」と言って窓を開けたのを覚えています。半分冗談かもしれませんが、彼は「次に生まれ変わる時にまた人間であればよいな」とも言っていました(私の方は蚊に刺されてマラリアになるのが怖かったのですが…)。

ひるがえって我々日本人の死生観は?と問われると、「死者に対する礼儀、神社仏閣への敬意など、漠然とした共通認識」はあると思います。とりわけ「死んだら皆仏様」と言うか「死者に鞭打つようなことはすべきでない」と言った考えは広く受け入れられているのではないでしょうか。安倍首相は昨年のダボス会議で自己の靖国神社参拝をこうした感覚で正当化したようですが、これは我々日本人には極めて納得的に受け止められても、中国はじめ他の国々の方にどこまでお判りいただけたか心もとないところです。

思うに死生観というか、死者に対する対応は国によって、地域によって異なるものです。キリスト教圏、イスラムの世界の人々も我々と違う感覚を持っています。中国は「A級戦犯を祭る靖国神社」と言って、「A級戦犯」と言う言葉を靖国の枕詞として多用し、時にはナチズムと連携付けて、靖国参拝に対する悪いイメージを植え付けようとしているように見えますし、こうしたキャンペーンが「日本の歴史認識の無さ」という形となってドイツやオランダなどの西欧社会にも拡がっているようにも思えます。悪意ある宣伝には正しく反論し、我々の死生観というか死者に対する感覚の違いを理解してもらうように努力すべきであり、「どうせ判って貰えないから相手にしない」ということで対立の途をたどるのはよくないでしょう。それぞれの国の人々の考え方、死生観と日本人との感覚の差を理解しながら話し合うことが大事です。少し古い話ですが、2008年に四川大震災が発生し、日本から緊急救援隊が派遣されましたが、救援隊の死者に対する対応が非常に丁寧であり、現地の人々から高い評価を受けたとのことです。今年は戦後70年ということで首相談話も発表されるそうです。相互理解のためには、代表者の「言葉」は非常に大事ですが、長い目で見ると個々人の日頃の行動・対応の積み重ねがより重要であると思っています。

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